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光縁寺山門

光縁寺と新選組

当寺は、満月山普照院光縁寺と称し浄土宗で知恩院の末寺である。慶長18年(1623)の創建で、のち本堂は天明の大火で消失し、文政2年(1819)に再建され現在に至る。

本堂には、中央に本尊阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊とその右脇に善導大師、法然上人を祀っている。

幕末期には、近くに壬生の屯所、また門前近くには新選組の馬小屋があり、毎日、光縁寺門前を新選組の隊士たちが行き来していた。その中に新選組総長の山南敬介もいた。彼が山門を見上げるとその瓦には、山南家と同じ家紋の「三つ葉立葵」が目に入った。

当時の光縁寺住職22世良誉上人は年齢も山南と同じであった。この時代には筵(むしろ)に巻かれた死体がよく当寺門前に放置されていた。それは葬式をだせない困窮した人たちが、この寺の住職がそのような死人であっても分け隔てなく弔っていたのを知っていたのである。

この住職、良誉上人と新選組の中であっても穏やかな山南敬介との間に親交が生まれたのは当然の成り行きかも知れない。山南の紹介で屯所にて切腹した2名の隊士が良誉上人に弔われ、そして3人目には山南自身が弔われた。その後多くの新選組関係者が良誉上人に弔われ、当寺に埋葬されることになった。

山南敬介をはじめ隊士たちの墓碑への参拝者は今も絶えない。

また当寺には幕末に平安四名家と呼ばれた京都円山派の絵師、中嶋来章およびその子、有章の墓がある。

山南敬介墓碑と新選組隊士等の墓碑